実は日本には人の受精卵の遺伝子改変を規制する法律がない

今まで「日本では受精卵の遺伝子改変はやってはいけないことになってる」と言ってきました*1*2が、実はこれ、「やっちゃいけないわけじゃないけど、理由もなくやったら怒るからね」というものでした。つまり、「法律」ではなく、「指針」だったわけです。

法律には法的拘束力がありますが、指針には当然、法的拘束力はありません。

 

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photo by Mr.TinDC

 

日本では受精卵の遺伝子操作は違法ではない

厚生労働省のサイトにはこのように書かれています。

厚生労働科学研究に関する指針
 厚生労働科学研究を実施される場合には、以下の指針を遵守されるようお願いいたします。
 以下の指針を遵守されず、厚生労働省等から改善指導が行われたにもかかわらず、正当な理由なく改善が認められない場合には、資金提供の打ち切り、未使用研究費等の返還、研究費全額の返還、競争的資金等の交付制限等の措置を講ずることがあり得ます。 

 例えば「遺伝子治療臨床研究に関する指針」の第一章で明確に「生殖細胞等の遺伝的改変の禁止」を記しています。しかしもし日本の研究者が受精卵の遺伝子を操作して、その子どもが生まれてしまっても、最悪の場合でも研究費の全額返還など資金面で制限が発生するだけです。(もちろんそれだけで十分困りますし、研究者として研究がそれ以降継続できるかどうかはわかりませんが。)

研究費というのは国からもらっているものだけではありませんし、資産家が個人で研究費を出して研究を進めることに関しては何も法的措置がとれません。病院の資産で研究をするということも可能なわけです。

 

受精卵の遺伝子操作に関するルールを法律で定めようという提案@生命倫理専門調査会

2015年12月15日に第93回生命倫理専門調査会が開かれて、先日のゲノム編集国際サミットに参加した、加藤和人氏(大阪大教授)と石井哲也氏(北海道大教授)が以下のような提言をしたそうです。

会議に参加した加藤和人・大阪大教授は「日本も技術の適切な使い方を検討する必要がある」、石井哲也・北海道大教授は「受精卵などを扱う研究や医療を規制する基本法の策定を急ぐべきだ」と提言した。*3

ここでも受精卵を用いた研究や医療を規制する法律の策定の必要性が訴えられています。

石井哲也氏のツイートを引用させていただくと、

「指針」ではなく「法律」をつくろうという考えの方です。

「生殖補助医療の現状」はどうなんでしょうか。こういった生命を扱う技術が「早まった応用あるいは乱用」されている現状があるのかもしれません。

 

今回の生命倫理専門調査会の資料が公開されています。

 

日本には生殖補助医療の法律もない

生殖補助医療、つまり人工授精や体外受精など不妊治療に関する法律も実はないようです。一度は厚生労働省総務省日本学術会議が生殖補助医療の部会や委員会を立ち上げ、報告書を作成したようですが、それらをもとにした法案の国会への提出は見送られました。
このように政府や日本学術会議等で、生殖補助医療の法制度化をめぐる検討がなされてきたものの、依然として生殖補助医療に関する法制度は整備されないままである。*4
それって生殖補助医療で生まれた人たちの立場が明確に定められてないってことですよね。第三者の卵子精子を使った体外受精で生まれた人がいたとして、法律上親子関係をどのようにするのか、自分の出生の経緯や、卵子精子を提供した親のことを知る権利をどうするのか、そもそもそういった技術を国として使っていいのかいけないのかが決められていません。それって国として何のサポートもしないし、何の権利も認めないと言っているようなものなのでは、と疑問に思います。
 

海外では生殖補助医療の法制化が進んでいる

アメリカでは日本と同様に生殖補助医療の法制化が進んでいないようですが(ただ、法律がある州もある)、一方でヨーロッパではかなり早い時期から法律ができているようです。

すでに述べたように海外では1980年代から、生殖補助医療に関する法制度化が進んでいる。例えばスウェーデンでは、1984年に人工授精法Lag (1984:1140) om inseminationが制定され、人工授精によって生まれる子の出自を知る権利を認めている。他にもオーストラリア・ビクトリア州では、1984年に生殖補助医療技術を包括的に規制する法律Infertility (Medical Procedures) Act 1984を制定し、子の出自を知る権利を認めている。*5

 

カナダでは

2004年に「ヒト生殖補助法」(Assisted Human Reproduction Act 2004. 以下「AHR法」という)として制定された。 AHR法では、研究目的の胚の創出、遺伝子改変、生殖クローニング、キメラ、ハイブリッドの作成、性選択は禁止される。また、商業的代理懐胎、配偶子・胚の売買も禁止となる。胚研究については、ES細胞を含め、余剰胚を使用したものならば、認められる。*6

となっており、生殖補助医療法に遺伝子操作に関する規制の内容も含まれているようです。生殖補助医療と、人の遺伝子改変は密接に関わってくるので、これは当然のことです。生殖補助医療とは、人の命を生み出すために行う医療なので、そこには遺伝子レベルのことまで関係してくるのです。
 
(この資料、国内外の生殖補助医療に関して詳しく書かれててすごい。)
 

日本どうした

この資料を見ていると、日本だけ遅れているように見えてきます。ヨーロッパ、カナダ、アメリカの一部の州、オセアニア、中国、香港、台湾、韓国も生殖補助医療や人の胚(受精卵)の扱いについて取り決めた法律を持っています。でも日本にはありません。あるのは指針だけ。もちろん最高裁判所での生殖医療に関する判例や、様々な部会や審議会からの提案もあり、全く法案化への道筋がないというわけではないのですが、法律になるまでは至っていません。こういったものを決めるには時間がかかるとはいえ、その間にも技術が発展して、さらに容易に遺伝子の改変を行える「ゲノム編集」まで現れています。そういった技術の出現は今の流れ出は止めることはできないでしょう。ではどうしたらいいのか。納得できる決まりをつくってそれを守っていくしかありません。そうしなければ、技術の乱用が起きるかもしれません。

「ゲノム編集」が現れたことで、研究者にとっては遺伝子の改変がより身近になり、それを使った研究も増えていくことでしょう。そこからうまれてくる成果に対してどう対処していくのか。言ってしまえば無法地帯ともいえる現状を知って驚いてます。

 

ちなみに日本同様に人の遺伝子改変に関する法律のないアメリカでは、ゲノム編集を遺伝可能な形で人に使用する研究には、公的資金の利用を制限しようとしているようです。

 

その他参考

日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:人の誕生や受精卵・胚に関する先端医療・医科学研究のルール策定を求める決議

 

厚生労働省:生殖補助医療研究目的でのヒト受精胚の作成・利用の在り方について

 

生殖細胞系ゲノム編集の新しい論文を発表 - researchmap

石井哲也氏の論文です。

ゲノム編集国際サミットの声明は研究者寄りの内容

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photo by Lauren Manning

 

2015年12月1日から3日までアメリカのワシントンD.C.で「ゲノム編集の国際会議」が開催されていました。アメリカ、イギリス、そして中国の科学機関が中心になり、「ゲノム編集」による人の遺伝子の操作を国際的にどのように扱っていくかを、議論するためです。人の受精卵に対してゲノム編集を行った論文が、中国の研究室から提出された話は以前紹介(→人の受精卵の遺伝子が改変されたことについて)しました。この論文がきっかけになったのか、世界各国から研究者が集まり、話し合って、最終的に「ゲノム編集」をどう扱うべきか声明を発表しました。

 

 

このサミットのメンバーを見てみると、生物学者はもちろんのこと、生命倫理・哲学の教授や、医学、法律、幹細胞など様々な研究者が中心となって構成されています。特に一般の人は入っていないようで、研究者としての意見として見ることができます。

重要なポイントはこの4つです。

  1. 「ゲノム編集」で変更した遺伝子を持つ子どもを作らないようにしよう。
  2. 「ゲノム編集」にはリスクがあるので、使い方をちゃんと考えよう。
  3. 「ゲノム編集」の使用をそれぞれの国でしっかり管理しよう。
  4. 「ゲノム編集」の扱いについて継続して話し合っていこう。

ひとつずつ見ていきましょう。 

「ゲノム編集」で変更した遺伝子を持つ子どもを作らないようにしよう。

なによりもこれが大事です。これを明言するためにこのサミットがあったと言っても過言ではありません。編集された遺伝子が代々引き継がれていくことによる影響がどのようなものなのか、誰にもわかりません。もしかしたら問題なく引き継がれていくかもしれません。逆に、致命的な疾患につながるかもしれません。もちろんゲノム編集でどの遺伝子を編集するかによっても影響は変わってきます。つまり、何が起きるかまったくわからないのです。しかし遺伝子が改変された受精卵から人が成長してしまったら、倫理的な問題となるし、差別につながるなど、社会的な問題も発生することでしょう。それらをどう扱うかの準備が全くできていない状態で混乱が起こることを、まずは抑えようという意図が伝わってきます。

 

「ゲノム編集」にはリスクがあるので、使い方をちゃんと考えよう。

「ゲノム編集」は今のところ不完全な技術です。精度は上がっているけど*1まだまだ完全な精度での編集はできません。もし完全な編集ができたとしても、その編集がどのような影響を与えるのかの臨床研究が必要となるでしょう。ゲノム編集を施した体細胞を、0歳の赤ちゃんに移植したところ白血病から回復したという報告もあって、これは奇跡的で素晴らしいことだと思います。とても期待が高まりますし、こういった臨床研究も実際にスタートするようです。*2 しかし、依然として意図しない遺伝子への編集が行われてしまうという事実があるため、実用性と安全性を兼ね備えた「使える」方法とは言えません。なので使い方やメリット・リスクを考えて検討するよう呼びかけています。

 

「ゲノム編集」の使用をそれぞれの国でしっかり管理しよう。

国際的に決定したものでも、実際にどう対処するかは、自国のルールに則って決定されなければなりません。日本の厚生省労働省は「遺伝子治療臨床研究に関する指針」の第一章で明確に「生殖細胞等の遺伝的改変の禁止」を記しています。*3 今回のサミットでの声明の有る無しに関わらず、日本では人の生殖細胞に関して遺伝子改変を行ってはならないことになっています。しかし、サミットの声明では生殖細胞の遺伝子の改変自体は容認されていますので(声明ではそこから妊娠させるべきではないとされている)、日本の指針とは異なります。

 

「ゲノム編集」の扱いについて継続して話し合っていこう。

一度声明を発表したら終わりではありません。ゲノム編集という技術は発展していきますし、社会の状況も変わっていきます。人類全体で共有されなければならないヒトゲノムに対する編集を、どのように実施していくのか決まりを時代や状況に合わせてつくり、変化させていく必要があります。声明には国際的に話し合いの場を持ち続けるべきだと明記されています。今回は、そういった場をつくることを、米科学アカデミー、米医学アカデミー、英国王立協会、中国科学アカデミーそれぞれに要請しました。そして、このフォーラムには「バイオ医学の科学者、社会科学者、倫理学者、医療従事者、患者とその家族、障害者、政策立案者、規制当局、研究資金提供者、信仰の指導者、公益擁護者、作業界の代表者、および、一般の人たち」を招くべきとしています。大きな影響力を持つ技術が現れた場合はこういった継続的なコミュニケーションをする場が必要になっていくでしょう。

 

まとめ

ゲノム編集という、容易に大きなことができる技術が現れてくると、その技術に対してこういった国際的な会議が開かれることが出てくるかもしれません。世界のその技術に関わる研究者たちが集まりその技術をどう扱うか決めます。次に、そこで決まったことを、各国に持ち帰って国の中でどういう方針や手続きでその技術を扱うか決めます。その指針をしばらく運用して、しばらくしてまた国際的に状況を確認し合います。国内でも確認します。それを繰り返していきます。社会の状況と技術の進歩度合いによって扱い方が変わってきます。その間には常に専門家ではない人が入っていくことが求められます。言うなれば一般的な感覚を取り入れて誰もが納得のいく扱い方を考えます。全員が納得のいくことは不可能ですが一般の感覚に近づけることでコンセンサスを目指すわけです。そういった内容も今回の声明に明記されており、専門家と非専門家間のコミュニケーション部分は今後行われていくと見られます。

今回のサミットでの声明は少し研究者寄りの考えだと読み取れました。遺伝子を改変した人間の受精卵を妊娠から出産につながらないようにしよう、と言っていますが、これは、人の受精卵の遺伝子改変を暗に認めているともとれます。妊娠・出産しなければよいというふうにも読み取れます。日本では既に人の受精卵に関しては遺伝子改変はできませんが、この声明をどう咀嚼するのかと言うところには注目したいです。中国の研究室から発表された論文で行った、成長できない受精卵へゲノム編集施した研究*4はこの声明により正当化されたとも言えます。今後は、研究として行うのであれば人の受精卵遺伝子の編集もやってよいという方向へ向かうのではないでしょうか。もちろん、そのおかげで救われる人が出てくる可能性もあります。これは研究者たちが決めた指針なので研究者たちが最大限にゲノム編集を活用できるようになっているのではと思います。

所属している国によって、ゲノム編集が使える・使えないが決まってくるような状況になっていますが、今回のように国際的な会議が開かれたことがまずはゲノム編集理解への第一歩と言えるでしょう。

 

雑記

このサミット(International Summit on Human Gene Editing)のサイトはよく見てみると、情報量が凄いことになってます。サミットのスケジュールはもちろん、使われたスライドもダウンロードできます。写真(1日目2日目3日目)も公開されているし、サミット中の動画が約九時間分くらい公開されています。かなりオープンに情報公開していて、何も隠すことはないというスタンスが伝わってきていいですね。

 

このエントリーを書くにあたり以下のサイトの日本語訳を参考にさせてもらいました。

 

科学と社会とSFのつながり

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科学と社会とSFのつながりについて各界の方々が語るイベントに参加してきました。

下にSFの科学に対する役割をまとめてあります。

イベントの所感はこの色で書いています。
 

参加したイベント

サイエンスアゴラ 2015:キーノートセッション
サイエンス・コンテンツ・イノベーションの可能性 ~ 先端科学者とクリエーターの交流を加速する ~ 

 
登壇された方々は以下の通りです。
  • 科学技術研究者:松尾 豊 氏(東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻 准教授、人工知能研究者)
  • 企業の研究開発・知材担当役員:浅見 正弘 氏(富士フイルムホールディングス株式会社 取締役 執行役員 技術経営部長)
  • SF作家:藤井 太洋 氏(作家、SF作家クラブ会長)
  • ベンチャーキャピタリスト:高槻 亮輔 氏(株式会社インスパイア 代表取締役社長)
  • モデレーター:妹尾 堅一郎 氏(産学連携推進機構 理事長)
 

レポート

始めはそれぞれ数分スライドを使ったプレゼンで、自身のSFコンテンツとの関わりを発表して、その後ディスカッションとなりました。
 

妹尾 堅一郎 氏 

この対談のモデレーターなので主に趣旨説明。
自身は文系である。
研究者と話すとコンテンツの話がよく出てくる。アトム、ガンダム攻殻機動隊ジュラシックパーク等。
研究者⇔クリエータ、お互いの創造力を刺激する。
R&D関係者がそれを捕まえるとイノベーションが起こる?それとベンチャービジネス。そこからファンドが動く。
それを動かしているのがコンテンツなのではないか。
新しい知とは?
知の創出モード(妹尾2000)
  1. アドバンスフロンティア(先端知)
  2. インター(学際知)
  3. ニッチ(間隙知)
  4. フュージョン(融合知)
  5. トランス(横断知)
  6. メタ、上位知、俯瞰知
このモードでコンテンツとサイエンスを考えてみる
レオナルド・ダ・ビンチの時代はコンテンツとサイエンスが融合していた?
 

松尾 豊 氏

SFをかなり読んでいた。人間の見ている世界をコンピュータで実現する。人間が持っている認識の限界を超えられるのではないか。
ディープラーニング。1956年から研究始まっている。脳のような深い構造のニューラルネットワークを構築する。
写真にねこ、いぬを認識させる。ディープラーニングで間違う確率が劇的に下がった。コンピュータの画像の認識精度が人間を超えた。認識というのをコンピュータはできなかった。推論の研究等うまくいかなかった。それが今できるようになってきた。そういう研究が一気に進む可能性がある。ロボットが試行錯誤して動きがが習熟してくるなど。
人工知能の基盤の上にどういう社会を描いていくのかが重要。どうやって社会をつくっていくか。そういう部分にコンテンツの力がきいてくるのではと思っている。
 

浅見 正弘 氏

論より実験結果という考えで進んできた。
影響を受けたものは、少年少女宇宙科学冒険全集、安部公房の第四間氷期養老孟司唯脳論
インターネットの出現など。
養老孟司の本に書いてるが感覚世界と概念世界がある。そこを言語がつなぐ。
現実のSF化がおこっているのでは。
仮説の発想アブダクションが創造性の鍵になる。SFはアブダクションを加速するツールである。
 

藤井 太洋 氏

子どもの頃の記憶:改良されるサトウキビ 米軍機にロケット、日蝕、流星、月蝕 そして手塚治虫の漫画火の鳥ブラックジャック
技術と科学へのあこがれ
ICU出身:演劇にはまって中退。その後コンピュータにのめり込む
Mac OSセキュリティホールを数個見つけて世界から怒られた。ハッカーだった。ある物を分解してみる。正当なコンピュータを学んだわけではない。
DTPMac OSのセキュリティを追いかけたり、グラフィックソフトの開発指揮、HTML5twitterクライアントをつくったり。
理想と現実とのギャップ。
東日本大震災後、放射線での恐怖の宣伝から正しい情報の伝達へ→ジーンマッパー執筆。
 

高槻 亮輔 氏

ベンチャーキャピタリスト。
イスラム法に則ったファンドをつくった。コンテンツへの制限。女性の黒髪がたなびくだけでも駄目。
影響を受けたものは、2001年宇宙の旅ガンダム、スタウォーズ6、1、2、3、風の谷のナウシカスペースボールDarwin's Dilemma(ゲーム)、財閥銀行(ゲーム)、エヴァ、finalfantasy XI、電脳コイルなど。
ミドリムシの企業を育てた。
 

ディスカッション11:30-

ものの見え方について

高槻氏:数字は全て実体化して見える。数字の絶対値のスケールが見える。長方形みたいに。バランスシートの数字等がそう見える。
浅見氏:化学化合物を見ていた。電子雲のようなうようよしているように見える。
松尾氏:認識の世界、人間の認識の世界。自分の見方の限界が決まっているのが不安。ビックデータの文脈でものを見る。データで見るのが好き。結婚したときの幸せになる確率を計算したいがデータがない。この会社に入っていいのかというデータがない。大事なことを主観で決めていいのか。ベースになるデータを提供してくれと思っている。
藤井氏:全てが小説のネタにしか見えない。ニュースを見るたびにネタフィルターがかかる。やっている物に関するフィルターがかかる。
妹尾氏:ビジネスモデルという観点で物が見える。解読と解釈、コーディングとデコーディング。
 
→それぞれ自分の職業にそったものの見方をしているようです。
 

ざっくばらんに

松尾氏:whatの部分をコンテンツが補う。目的が重要。利便性と安全性はトレードオフ。明示的に自動運転の法定速度を選ばなければならない。いまは暗黙的に時速60kmを選んでいるが自動運転になったら時速何kmを選ぶのか。
 
→新しい視点でした。制限速度時速60kmに対して、人が運転するという前提が崩れたときに、時速何kmを選ぶのか。他にも科学技術が進歩して生活圏まで達したときにどう選択するか。
 
藤井氏:自動運転とかは確率とかが骨身に染み付いている場合に許容できる。人の顔が見えるということが必要だと思っている世代の人とのバランスになる。小説を書いている人たちはだいたい人間を書いている。科学技術を書くことだけが目的ではない。ある科学技術が世の中に出たときにどうするかということももちろん考えているが。昔、試験管ベイビーというのが話題になった時代があった。試験管の中に胎児が浮かんでいるイメージ。数十年後、体外受精は普通の話になった。
 
→自動運転車の時速を決めるには世代間のギャップを埋めることも必要。そういうことも含めてSFは描いているのかもしれない。イメージが先行することもあるが、徐々に現実になっていく。実際にSFのような技術が実用化し始めると、SF的なイメージが先行するのかもしれない。
 
妹尾氏:Science FictionとScience Factsの話。
 
浅見氏:社会にとってよいこととは何かを見抜くことで企業の倫理性が決まる。そういった前向きな力が集まる方が大事。社会的価値がある方がドライブがかかる。富士フィルムのエボラ熱での貢献。
写真の会社がなぜ化粧品?薬品?→写真ていったいなんだったんだっけ?写真があるから素晴らしい瞬間を残せた、というのがコンセンサス。人間にとって大事な物をやるなら写真じゃなくたっていい。肌がきれいになって幸せになる、病気が治るようになる薬。こう考えれば写真から化粧品や薬だって違和感がない。
エネルギー消費が多いものや有害な物を出す物はあまり良くないと思う。サステナブルに貢献できない物には飛びつかない。
 
高槻氏:志を持ってやるものと儲かるものをどう判断するか。売り上げも大事。志も大事。inspireでやらなくてもいいなという物はある。しかし、きれいごとは言ってられないから節約してきりつめる。大企業とは違う世界。
 
妹尾氏:問題設定。与えられた問題を解決するのはできる人は技術者に多い。問題設定する方法とは。浅見氏が言ったアブダクション。物をつくるのはアブダクションの加速ツールはSFからアイディアを得たのか?
 
浅見氏:SFは事実から枠を取っ払うもの。SFがアブダクションを加速させる。科学の過程で仮説をつくる際の枠を取り払ってどうなるか考えるのがSF。藤井氏の作品を読んだが全て読後に希望が持てる。
 
→SFはある意味思考実験。
 
藤井氏:褒められると照れくさい。JAXAから問い合わせがあったり。クラーク自体が通信衛星を考えたり。自分の興味のありそうな本を紹介してくれるというAmazonがやっているようなことを予言したりしたので、SF作家が先を読めるというイメージが。しかし狙って予言しても当てるのは無理。
 
→その思考実験に関して実際の研究機関から問い合わせがあったり、実際に新しい技術や研究のアイディアになったりしているという。つまり科学とコンテンツは実際に影響を与え合っている。
 
松尾氏:SFはたくさん読んだ。論文とSFって殆ど一緒。どちらもある論旨を正当化するための論拠を並べるもの。三項分岐、実験、他の文献をひく、いろんな知見の整合性からひくなどの方法がある。SFには整合性があってほしい。整合性によって説明力を保つというのがSF。
 
藤井氏:ドーキンス利己的な遺伝子に「この本をSFのように読んでほしい」と序文に書いてある。ミームドーキンスのロジックが感動的。パラダイムシフト。
 
松尾氏:SFも人工知能学会の論文として認めるというアイディア。整合性が説得力を担保すれば論文として認めるというのが面白いのでは。
 
→SFが論文になるというのは面白い。SFと研究はある分野に関しては非常に近いのかもしれない。人工知能の研究など。
 
妹尾氏:アブダクションは演繹でも帰納でもなく意味解釈。現実感の喚起。価値の共感が必要。
50−60代で若いコンテンツを見ているか?世代論が必要。科学技術コンテンツの世代論。どういう影響を受けたのかという研究が必要。
ある世代からコンテンツ離れをしなくなる。若いときのコンテンツの形態、中身についていっている。親子で楽しむとかしているとまた違ってくる。子どものうちは影響を受けたコンテンツは偏る。大学、社会人は多種多様になる。
 
→科学という観点だけではなく、子どもの頃に触れるコンテンツの偏りは興味深い。それが研究の流れに影響を与えている可能性は大いにあり得るのでこの研究は注目。
 

ディスカッションの最後に一言

高槻氏:やりたくてできないというものSFなどのコンテンツで肯定的にとらえられているといいバックアップになる。コンテンツクリエータと同じ目線を起業者が持っていると面白いのかもしれない。
 
→コンテンツとしてポジティブに受け取られた科学技術というのはその後の研究や事業でも好影響を被るに違いない。
 
藤井氏:貴重な体験でした。
 
浅見氏:遺伝子とデジタルの親和性とジーンマッパー。DNA構造が二重螺旋として発見されたとき、それをデジタルだと思った。遺伝子の世界をコンピュータ技術で加速できるという環境が整ってきた。コンピュータサイエンスがバイオロジーを換えていくのに興味がある。発展すればますますそういう議論が進む。
 
松尾氏:人工知能は日本にとって大きなチャンス。シリコンバレーの資本の循環では勝てない。日本ではわけわからない祭り状態を作り出すしかない。日本は一気に人が同じ方向を向く。そのためにはコンテンツが必要。キリスト教では必ず人工知能が人を襲う。日本には八百万の神がいる。そこの違いを見せるしかない。
 
→「祭り状態」というのはいい言葉だと思った。日本的感覚と日本的力を最大限に使ってやっていくのが対抗手段になりうるかもしれない。それにはコンテンツに大きな可能性がある。
 
妹尾氏:SFは科学技術の解釈ツール。具体的なイメージを現実感を持って指名してくれる。問題設定ツール。howはある。whyとwhatはコンテンツ。前提を広げてくれるアブダクションツール。リードパス。科学者たちがそれを見て動いてくれるのでは。
論文とSFが繋がる。ダ・ビンチのサイエンスとアートの融合のように。リバースルネサンス。これを混沌と呼ぶか百花繚乱と呼ぶか。
 
→SFコンテンツは何かと引き合いに出しやすいのでwhyとかwhatの部分に大いに影響を与えると思う。アブダクションツールとしてもそうだけど、社会と科学、人間と科学の関係を考えるときもよいツールとなると思う。
 
イベントレポートは以上。
 

SFは科学と社会をつなぐ

SFは自分たちの生活の中で科学技術に触れて考えるためのツールになります。新しい技術が現れた時に人はどうそれらを解釈し、どう扱うべきかということを先行して思考実験をするツールでもあります。ある仮想社会の中でその科学技術が実際に使われているところが物語になっていますので。そういった情報に幼少期に触れていた場合には科学技術のwhatやwhyという部分にも影響を与えたりします。さらにより多くの人が影響を受けるメディア(SF映画やアニメ等)になってくると、先行して新しい科学技術のイメージが広範囲に広がるので、そのイメージによりその科学技術がポジティブなものなのかネガティブなのかという印象も大きく変わってきます。そのためにその技術が社会的に許容可能なのか、不可能なのか、という感情的なところまで影響を与え、最終的にその科学技術をどう社会の中で扱うのか決定するところまで影響がある可能性があります。

 

SFはアブダクション(仮説推論)加速ツール

SFはそれが実現できるかどうかという枠を取り払った上で語られる物語なので、ある意味極端に表現されていることが多いと思います。その極端さ故に仮説としておもしろくなります。科学ではhowと問うことはできますが、whatやwhyの問いは難しいとされます。SFがこの辺りの「科学の解釈」という部分を担っていけるのかもしれないですね。SFは推測、想像の話なのだけど、そこから科学技術への理解や共感が生まれるし、研究上の仮説も生まれる。問題を見つけるツールにもなります。

 

SFが科学に影響を与える

いくつか例が出ましたが、アーサー・C・クラーク氏が静止衛星による電気通信というアイディアを出し論文を書いたり*1、藤井氏のもとにJAXAから問い合わせがあったりといった例が出ました。SF作家が科学に影響を与えている例だと思います。他にもインターステラーという映画にでは理論物理学者のキップ・ソーン氏が科学コンサルタント兼製作総指揮を務めていて、ワームホールブラックホールを正確に描いた映画とされ、そこから学術論文も生まれています。*2 攻殻機動隊を実現するプロジェクトなんて言うのも立ち上がっています。*3 また、松尾氏はSFと学術論文はともに整合性が取られているという点で共通しているので、人工知能学会の論文としてSFも認めてもいいのではないかというアイディアを出していました。SFを一つの科学研究と考えるところは素直に面白いと思っいました。そういった方法で科学がSFを取り込み、SFが科学を取り込んでいけば、また違う発展の仕方をするのではないかと思います。

 

まとめ

SFと科学技術というのはどうやら結びついているようです。それぞれの業界はあるものの、その壁を飛び越えて影響している。そこを取り巻く企業やベンチャーキャピタルも知らぬ間に相互作用が起きているのかもしれないですね。そういった関係や影響は興味深いし、このイベントはそういった活動を「サイエンス・コンテンツ・イノベーションスタジオ(仮)」として展開していくためのキックオフの意味もあるということなので、今後の動きも注目していきたいと思います。

 

(発言等に間違いがあればご指摘ください。訂正致します。)

攻殻機動隊の電脳と義体をブレイン・マシン・インターフェース研究で読み解く

 

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攻殻機動隊に出てきたブレインマシンインターフェースについて調べてみました。

 

ブレイン・マシン・インターフェースとは

ブレイン・マシン・インターフェース(以下、BMI)とは、大雑把に言うと、脳を機械とつないで情報のやり取りをする技術のことです。

ブレイン・マシン・インターフェースBrain-machine Interface : BMI)とは、脳信号の読み取り・脳への刺激によって脳(思考)と機械のダイレクトな情報伝達を仲介するプログラムや機器の総称である。接続先がコンピュータである場合にはブレイン・コンピュータ・インタフェースBrain-computer Interface : BCI)とも呼ばれる。*1

 

攻殻機動隊ブレイン・マシン・インターフェース

攻殻機動隊BMIのアニメと言っても過言ではないです。

攻殻機動隊の世界では、人の生身の脳がマシンとつながり、バーチャル世界とつながり、他人の脳とつながります。人の脳の中に没入し、その記憶をひもといていくストーリーもあります。そもそも主人公である草薙素子は脳以外が機械でできています。

生身の脳からマシンへと接続し操るという、アニメの中でも当然のことのように行われていることが、現代からして見れば非常に高度な技術となります。

攻殻機動隊では「電脳」と呼ばれる技術が現れます。マイクロマシンを脳内に入れて神経に直接電気情報を流し、外部と情報のやり取りを行う技術です。「電脳」が攻殻機動隊でのBMIになります。

また、体の一部に高度なマシンを組み込んで扱うキャラクターも出てきており、そういった体の機械化を「義体化」と劇中では表現しています義体化するとその部分の能力が強化され、生身の体では到底できないような特殊な能力を発揮するキャラクターもいます。また、逆に、敢えて擬体化をしていないキャラクターも出てきます。そういった、完全義体化、部分義体化、義体化なしといったそれぞれの立場からの視点で様々な事件が進行していくのが攻殻機動隊です。(主に見たのはSTAND ALONE COMPLEX)

 「電脳」と「義体」。二つの基本となる技術ですが、義体化していないキャラクターはいますが、電脳化していない主要キャラクターはいません。義体化は主に肉体の強化です。一方で電脳化は脳をインターネットにつなげるようなイメージでしょうか。無線状態で外部から情報を得ることができます。仲間同士で会話もできますし、有線でつないで、視覚情報などの交換もできます。これがBMIの基礎になっています。脳→外部、外部→脳という双方向の情報のやり取りを可能にしている技術が「電脳」です。その技術を使って義体化した体を動かすなどしていると思われます。

マイクロマシンを使って電脳化を行うことは、とても都合が良い設定です。外科手術をして脳に電極を埋め込む必要がなく、容易に脳から電気信号を入出力できるようになります。生活に支障なく、行えそうです。しかし首の後ろには、外部との有線接続するためと思われる基盤が埋め込まれていて、これには外科手術が必要そうです。それ以外ではどうやって外部とやり取りを行っているかは触れられていませんが、マイクロマシンが全てやってくれるのでしょう。

義体化していないキャラクターでも電脳化をしているというのは現代のPCやスマートフォンを扱うような感覚で、通話をしたり、情報を調べたりすると言ったことが、やはり重要な位置を占めているということを物語っています。体の強化はそこまでいらないけど、情報収集はやっぱ必要だしシームレスじゃないとね、という人がそうしているのだと思います。何も機械を持たずに情報を収集できるのだから、これほど楽な物はないですね。攻殻機動隊はこの電脳化によるBMIが最大限に普及している世界と言ってもいいでしょう。

 

攻殻機動隊に出てくる電脳技術に近い研究を探してみる。

攻殻機動隊では登場人物ののほぼ全員がBMIを活用しているような世界でした。

現実の世界ではどうなんでしょうか。攻殻機動隊の中の電脳技術を以下の4つに分類して、それぞれ近い研究を探してみました。

  1. 電脳を義体とつなげて操作する技術
  2. 義体を使って外部の情報を検知する技術
  3. 義体で物に触れて感覚するための技術
  4. 電脳と電脳を接続する技術

 

1:電脳を義体とつなげて操作する技術

脳から情報を取り出し外部デバイスを動かす

Cortical Ensemble Adaptation to Represent Velocity of an Artificial Actuator Controlled by a Brain-Machine Interface

BMIでロボットアームを動かす研究です。

脳に電極をつないでサルがまずは手元のポールのようなコントローラーでアームを動かします。脳にも電極をつないでおいて、途中から手元のコントローラーではなく、脳の電極からのシグナルでロボットアームが動くように切り替えます。こうすることで早く脳でアームを動かせるようになります。そういったトレーニングをさせつつ、アームの動く速度の調整も行います。アームの速度は脳波の強さで調整しました。恐らく、一定のスピードで動かすのであればこういうことを考えなくても良いとおもいますが、実際の手として動かすのであれば、動かす速度は重要になります。実際に動かしていること脳の活動と操作の方法より、どのような脳の活動のときにどのようなアームの速度で動かさせれば良いかをチューニングしています。ニューロンごとにチューニングのパターンが異なるし、手ではなく、脳でのコントロールのチューニングは単純な数式ではできませんでした。そして、手の動きのある時のチューニングと脳でのコントロール時のチューニングは統計的に有意に異なるものでした。また、脳でのアームのコントロールではアーム速度の予測の精度が手でコントロールを行ったときよりも落ちるという結果になりました。

これらの結果より、実際に自分の体を動かすことと、BMIによる機械のコントロールは異なるということがわかりました。つまり実際に手を動かしたときの大脳皮質のニューロンの動きと、BMIで機械を動かしたときのニューロンの動きが異なるのです。そして、BMIでのコントロールも練習をすると上達するということも報告されています。

義体を使うということは、そのマシンをまさにこの研究のサルが使っていたロボットアームのように扱うということです。義体を自分の体の一部として脳が認知し、義体を動かすために脳から指令を出します。自分の体を動かすかのように。しかしそれは、実際の自分の体を動かしていた頃とは脳の使い方が違い、その義体部分専用の脳の使い方をしなければいけないということになります。

この論文ではアームの動きと速度に着目して、BMIでアームを動かしたときにどういった脳の動きの場合にどういう速度で動かせば良いのかを研究したものでした。腕を一つ動かすにも速度以外に、肘の角度や型の角度、どのくらいの力を入れるのか等、パラメーターは無数にあるわけなので、これらをプログラムに組み込んで操作するというのは途方もない研究が必要なのでしょうね。逆に言うと、単純な動きでいいのであれば、実用化も遠くないという見方もできます。実際に日本でも以下のような臨床研究も行われています。

 

2:義体を使って外部の情報を検知する技術

外部からの情報を脳へ入れて何かを感覚させる

ネズミ(ラット)に、肉眼では見えない赤外線を感知できるBMIをつけて行った研究です。

光が点灯するとその場所で水が飲めるようになる実験装置で、トレーニングをして実際に6匹中6匹のラットが7割の成功率で水が飲めるようになりました。肉眼では見えない赤外線を感知できる装置をラットにつけて脳に信号を送るようにすると、同じように7割程が水を飲めるようになりました。またトレーニングすることで正確性やスピードも上がっていきました。ただそのことで、脳の領域(一次感覚野:S1)に対しての感覚器官(洞毛:ひげ)からの刺激への反応が有意に鈍るということはありませんでした。

その個体が感知する能力を持っていない物に対して、それを感知できるようにするという研究です。今回は赤外線でしたが、センサーとして使える物であれば何でも「脳で感じる」ことができるのだと思います。同様の脳の領域で複数の刺激に対する使い分けが可能ということも示されましたが、この点に関しては行動にどう影響を与えるのかさらに研究が必要とのことです。また、ラットの脳でどのような変化が起きているのかという部分と、ラットには赤外線がどう「見えて」いるのかというのも気になるところです(Discussionではラットは赤外線を始めはひげからくる刺激として扱うが、しばらくするとそれとは異なる物として行動するようになる、と述べられている。)。赤外線が視覚情報として他の光のように目に見えているのか、ひげという触覚が反応するのと同じような感覚なのか、どちらでもないのか。入力という点で重要になってくるのはどう感じるかということなのだと思います。

どうやらセンサーを使うことで「脳で何かを感じる」ことには現実味が出てきているようです。センサーで検知した信号を脳にどう伝えるかはまた別の難しさがあると思いますが、それを自分の感覚として扱う柔軟性を脳は持っているようです。目を義体化(義眼化)してそこでサーモセンサーとして生物のいる場所を見たり、暗視スコープとして使ったりしたときには、その情報を脳でどのように処理するかが問題になってきます。視覚情報として、完全に見えているイメージを映し出すのか、それともぼんやりとしたイメージががわかればいいのか。脳のどこの部分にどうやって信号を送ればその画像が見えるかということが技術的な難易度に大きく関係してくるのではないでしょうか。(「画像情報を直接脳に送り画像を見る」などの論文があれば教えてほしいです。これとかが近いかもしれませんが↓)

 

3:義体で物に触れて感覚するための技術

脳と外部環境で情報をリアルタイムにやり取りする

これは一方向の情報の伝達ではなく、脳→機械、機械→脳という双方向の伝達に関する研究です。

サルがジョイスティックまたはBMIで、画面に映るカーソルや手を操作します。それでいろいろな動きをさせて、その動かし方によって微細な信号を脳の一次感覚野に送るというものです。そして、「報酬としての刺激」、「それ以外の刺激」、「何も刺激がない」の三つのパターンでフィードバックしました。画面上で物を動かして、動かした結果がリアルタイムに返ってくるわけです。いくつかのタスクをサルにあたえ、操作を行わせていくと、「報酬としての刺激」を受けている時間が、「それ以外の刺激」と「何も刺激がない」よりも長くなっていくことがわかりました。それはジョイスティックでコントロールしているときも、BMIでコントロールしているときも同じでした。こういった結果からバーチャルに物を触ったときにその刺激を返すことができ、その刺激の違いをつくることで、その後の行動の変化を起こすことができるとわかりました。つまりその返却される刺激が有効であるということを示しています。

物を触ったときに「触った」と感覚できることは義体としてはとても重要です。それがなければ、自分が物を触っているかどうかを目で見なければ確認できませんので。今回の研究はフィードバックとして「報酬としての刺激」、「それ以外の刺激」、「何も刺激がない」の三つを用いましたが、実際に人の触覚は圧力や温度、振動を感じたり、痛みを感じたりするための複数種類の細胞がある*2のでそれらに近い刺激を脳に送る必要が出てきます。これもどこまでの触覚を求めるかということになりますが、日常生活をするためには人の持っている触覚と同じ感覚があると良いのでしょう。そういった研究もされていますが、これはただBMIと言ってもメカニカルなところや、人工皮膚をつくるために合成化学を扱うところなど、様々な分野が協力してやっていかなければならないと感じました。

 

以下のような研究もなされています。

単結晶のシリコンでできた、圧力、温度、湿度センサーのついた人工皮膚を神経につなげる研究

 

Stretchable ​silicon nanoribbon electronics for skin prosthesis

 

薄くて、圧力、振動、温度、音を感知できる強誘電体の人工皮膚の開発をして、ロボットなどへの応用を考えている研究

Fingertip skin–inspired microstructured ferroelectric skins discriminate static/dynamic pressure and temperature stimuli | Science Advances

 

圧力を電気信号に変換できる有機的なセンサーで、実際にマウスの体性感覚ニューロンにそのシグナルを送り、圧力の大きさによってニューロンの信号も変化させることができた研究

A skin-inspired organic digital mechanoreceptor

 

4:電脳と電脳を接続する技術

脳から脳へ情報を伝達する

リアルタイムに脳から脳への情報伝達を行った研究です。

ラット(発信ラット)をトレーニングして、2カ所あるレバーのうち、LEDの光った方を押すと水が得られるということを学ばせます。そのときのニューロンの活動を変換してもう一匹のラット(受信ラット)の脳へ微細な刺激(皮質内微小電気刺激法:ICMS)としてリアルタイムに与えるようにします。その刺激からその受信ラットは2カ所あるうちのレバーから一方を選び押します。そのレバーが脳の刺激を送ってきた発信ラットが選んだものと同じ方であれば2匹とも報酬がもらえます。発信ラットのLEDが光った方のレバーを押して水が得られる確率が約95%前後のとき、受信ラットが水を得られる確率は64%前後程でした。何も刺激を与えていない場合は成功率が50%以下だったので、情報の伝達は行われていることがわかります。

もう一つの実験では発信ラットがひげで感じた「狭い」「広い」の脳の刺激を同様に受信ラットに送ります。発信ラットは狭ければ左のレバー広ければ右のレバーを押すように訓練して、受信ラットは刺激がくれば左、刺激がこなければ右のレバーを押すように訓練します。結果としては先ほどの実験と同様に、刺激のない場合に比べて水を得ることができる確率は上がりました。

このように脳のシグナルで繋がっているペアとして行動を続けていくと、お互いの行動がお互いに影響を与え始めます。刺激を与える発信ラットの次の行動までの時間は長くなり、刺激を受け取る方の受信ラットの行動の感覚は短くなりました。

一つ面白い取り組みをしていて、ブラジルのNatalとアメリカ合衆国のDurhamに一匹ずつラットを用意し、同じ実験を行いました。刺激はインターネットでリアルタイムに送られ、似たような成功率を示しました。

これらの結果より、脳から脳への刺激の伝達が可能なことがわかりました。しかし、その伝達できる情報量は未知であることが書かれています。今回の研究では一次感覚野と一次運動野を用いましたが、もちろん他の脳の部位同士の伝達もできるかどうか検証が必要です。

脳から脳への接続は攻殻機動隊では頻繁に出てきます。無線通信で会話をしたり、相手の電脳の中にダイブしたりします。無線で会話をするだけなら脳に直接情報を伝達しないで、耳の神経に音の情報を伝えてもいいし、実際どうやっているのかも劇中では語られませんが、脳を他人の脳につないで、そのなかに保存されている記憶の情報に入り込み、調査するなんていう離れ業もやってしまうのは、もはやどういう状態なのか、想像もできません。それが技術的に可能なのかどうか、何をしたらそこまで到達できるのか、現代の知識では答えは出ないと思います。

 

以下のような、人で脳と脳の情報をやり取りするような研究もなされています。

 

まとめ

攻殻機動隊の世界がもう間近に迫っている、とは言えないとは思いますが、とても近いことをやっているというのは感じました。基本技術は確立しつつあるし、実際に臨床段階の技術もありました。要はどこまでを求めるか、目的を何に置くかで、必ずしも万人にとって脳に直接情報を送り込む必要があるというわけではないと思います。精度としてどこまで求めるのか。もし、全身を義体化して生活できるまでにするのなら、情報のやり取りのための脳のマッピングと、正確に義体を動かすための感覚器・伝達回路含めたメカニクス、そしてそれらを操るためのトレーニングがものすごい高いレベルで必要です。そこに行きつくには途方もない研究の積み重ねが必要なのだと思います。特にそこまで求めないのであれば、実用化はもう間近です。体に麻痺がある方が脳で直接アームを動かすというのは数年のうちに実用化されそうです。人工皮膚で物に触れた感覚を感じることも、しばらくしたらできるようになると思います。

脳のどの部分がどういった機能を持っているか、脳波をどう処理し、脳にどういった刺激を与えると同じ感覚を得られるのか、脳に画像を見させるにはどうしたらいいか、など興味は尽きません。 

今日も攻殻機動隊の世界を夢見ながら妄想に浸ります。

 

参考にした情報

攻殻機動隊の世界は可能か?

BMIの面白さがわかります。

 

BMIの最新の研究について。

 

→人工皮膚についてその1

 

→人工皮膚についてその2

 

複数BMIで一つのロボットアームを操作する研究

 

 

母と子のマイクロキメリズム

マイクロキメリズムとは・・・?

極小のキメリズムであります。

ではキメリズムとは・・・?

 

簡単に言えば、「キメラ化」のことです。

 

じゃあ、キメラ化とは??

生物学的に言うと、一個体の中に遺伝情報が異なる細胞を持つことです。

 

部分的に違う遺伝子を持っていて、体毛の色が違うキメラマウスや、同様に接ぎ木をすることで一部のみ違う個体由来の枝を持つ木など、色々例はあります。*1

(この定義からすると人の臓器移植もキメラ化と言えるかも)

 

では、母親に起きているマイクロキメリズムとは何でしょうか。

それは、異なる遺伝情報を持つ細胞、つまり胎児の細胞が母親の体内にとどまり続けているということなのです。

 

胎児の細胞が母親の体内に存在している。

マイクロキメリズム (Microchimerism) とは、遺伝的に由来の異なる少数の細胞が体内に定着し存続している現象を指す。*2

正確にはこういう定義です。例えば自分の中に他人の細胞があること。他人に由来する細胞が自分の体内にあるとそれはマイクロキメリズムです。

だったら胎児の体内に母親の細胞が、母親の体内に胎児の細胞があるのもマイクロキメリズムということになります。妊婦と胎児は体が胎盤を通して繋がっているので、お互いの細胞が行き来していると言われても特に違和感なく受け入れられます。免疫系の作用によってそれらが排除されないのは少々疑問ですが、事実、母親の体内からは子どもの細胞が検出されているのです。

 

そのマイクロキメリズムについてScienceNewsで記事になっていました。

 

母と子の、このマイクロキメリズムという不思議な繋がりについて書かれています。いくつかそれに関する学術論文がリンクされているので読んでみました。

 

マイクロキメリズムは何十年も続く。

Male Microchimerism in the Human Female Brain

Chan WF, Gurnot C, Montine TJ, Sonnen JA, Guthrie KA, Nelson JL.
PLoS One. 2012;7(9):e45592. doi: 10.1371/journal.pone.0045592. Epub 2012 Sep 26.

(ヒトの女性の脳で男性のマイクロキメリズム)

 

女性の脳に関して、マイクロキメリズムがどの程度起きているかを研究しています。検出につかったのは男性のY染色体(のDYS14という遺伝子)です。なぜかと言うと、女性の体内でY染色体を発見するのが容易だからです。(女性はY染色体を持たない)

脳脊髄液の中からY染色体が検出されたことから、男性のDNAは血液脳関門を超えることができるのではないかと言っています。また、アルツハイマー病との関連性を調べるために、アルツハイマー病であった女性の脳と、神経疾患のなかった女性の脳でのマイクロキメリズムを脳の部位別に調べています。結果神経疾患のなかった女性の脳でのマイクロキメリズムの割合が多かったです。マイクロキメリズムが有益なのか、有害なのかということははっきりとしたことはわかっていないので、さらに研究が必要とのことです。ちなみに94歳の女性の脳でもマイクロキメリズムが起きていることがわかり、数十年間にわたりマイクロキメリズムが維持するんじゃないかと考えられているようです。

 

傷ついた心臓を直してくれる。

Fetal Cells Traffic to Injured Maternal Myocardium and Undergo Cardiac Differentiation

 

マウスの研究ではありますが、妊娠したマウスに心筋梗塞を起こさせてそのときの心臓付近の細胞の状態を調べました。そうすると胎児由来の細胞が心筋梗塞を起こしていないマウスと比べて多く集まっていたようです。しかもその細胞は50%が心筋の細胞に分化したと考えられます。心筋梗塞を起こした後の心臓の1.7%が胎児由来の細胞でできてい他との報告もされています。また、その心臓の細胞を培養したら、胎児由来の細胞が鼓動もしていたようです。周産期の人では心臓障害からの回復率が高いと言われていますが、もしかしたらおなかの中の赤ちゃんの細胞が、傷ついた心臓を直してくれているのかもしれません。

 

造血幹細胞の移植時の免疫反応にも影響を与えているかもしれない。

Male DNA in female donor apheresis and CD34-enriched products

造血幹細胞の提供者が妊娠を経験した女性だった場合に、移植先の体内での免疫反応で異常が起こるリスクが高いそうです。ただその理由ははっきりとはわかっていません。この論文では成分献血(アフェレーシス)された生成物内にどの程度の胎児の細胞が存在しているかを調べています。最も多く胎児の細胞が存在したのは3人の息子を出産しており、輸血経験のない女性のものでした。その数は357 male gEq/mil。これは100万の血液内の細胞のうち、375個が胎児由来の細胞だったということを意味します。男児の出産経験のある3人の女性からの献血物には雄性のDNAは検出されませんでした。

これらの意味することは、輸血用の血液でもマイクロキメリズムの影響は残っているということです。とくにマイクロキメリズムを起こしている細胞の濃度を1 gEq/mil(100万細胞中1個)としても、造血幹細胞移植のときにはドナー以外の細胞が10000から40000も移植されているということになります。これらがGVHD(移植片対宿主病:免疫細胞が移植されたときに、移植された免疫細胞が移植先の体に対して免疫反応を起こすこと。臓器に対する拒絶反応と逆の反応)に影響しているのではと著者は予想しています。

少し難しかったかもしれませんが、つまり、輸血するときには胎児由来の細胞も一緒に輸血されている可能性があるということが言いたそうです。そしてそれらがもしかしたらGVHDの免疫反応に影響を及ぼしているかもしれない。

もしかしたらつわりも胎児の細胞が引き起こす免疫反応なのではと考えてしまいます。

 

マイクロキメリズムのレビュー論文

Naturally acquired microchimerism

レビュー論文でまとめきれないですが、マイクロキメリズム研究全般の流れがわかると思います。要約によると、主に妊娠とマイクロキメリズムと自己免疫疾患の関係(リウマチが妊娠中に改善するなど)や長期にわたるマイクロキメリズムの影響等にフォーカスを当てているようです。

 

病気と関係もある。

Fetomaternal cell trafficking: A new cause of disease?

要約しか読めないので論文の形態はわかりませんが、マイクロキメリズムと病気の関係について述べられています。特に免疫疾患系との関係。以下に要約から読み取れることを。

  • 妊娠三ヶ月の中絶でも500000の胎児由来の細胞が母体に存在した。 
  • 皮膚内の胎児由来細胞の増加は妊婦の発疹を引き起こした。
  • 胎児由来の細胞が増えることと子癇前症や強皮症、自己免疫疾患との関連がありそう

マイクロキメリズムは良いことばかりではなく、こういった病気にも関連してくるわけです。

 

まとめ

目の前にいる子どもの細胞が母親の体内を生きた状態で存在し続けているというのは不思議な話です。その逆も起きている。あるものは体内を廻り、あるものは特定の部位に留まり、良い影響を及ぼしたり、悪い影響及ぼしたりしている。しかも何十年にもわたって。妊娠経験者がかかりやすい病気との関連は研究が進んできているようです。主観ですが思った以上に胎児由来細胞の数が多いので驚きました。量と影響度の関係や、免疫系との関係、あとは胎児側への影響、進化学的意味付けなど疑問多数ですが、気になる部分はこれからさらに研究が進んでいくのでしょう。

 

その他マイクロキメリズムに関するサイト

 

 

人の受精卵の遺伝子が改変されたことについて

先月発表された論文に注目しています。

 

この論文です。

CRISPR/Cas9-mediated gene editing in human tripronuclear zygotes

(CRISP/Cas9によるヒト3前核受精卵遺伝子の改変)

 著者:
Puping Liang, Yanwen Xu, Xiya Zhang, Chenhui Ding, Rui Huang, Zhen Zhang, Jie Lv, Xiaowei Xie, Yuxi Chen, Yujing Li, Ying Sun, Yaofu Bai, Zhou Songyang, Wenbin Ma, Canquan Zhou, Junjiu Huang

Protein & Cell
May 2015, Volume 6, Issue 5, pp 363-372

 

このタイトルからわかるように、人の受精卵の遺伝子を改変した研究を表したものになります。

なぜ、この論文に注目しているか。

それは、人の受精卵の遺伝子改変が世界で初めて報告された論文だからです。

 

世界で初めて人の受精卵の遺伝子の改変が報告された。

例えば日本。厚生省労働省は「遺伝子治療臨床研究に関する指針」の第一章で明確に「生殖細胞等の遺伝的改変の禁止」を記しています。

 

第 六 生殖細胞等の遺伝的改変の禁止

 人の生殖細胞又は胚(一の細胞又は細胞群であって、そのまま人又は動物の胎内において発生の過程を経ることにより一の個体に成長する可能性のあるもののうち、胎盤の形成を開始する前のものをいう。以下同じ。)の遺伝的改変を目的とした遺伝子治療臨床研究及び人の生殖細胞又は胚の遺伝的改変をもたらすおそれのある遺伝子治療臨床研究は、行ってはならない。*1

 

「臨床研究」がどこまでの範囲のことを指すのかということもありますが、同じことを日本でやったら大きな問題になりそうです。

 

朝日新聞よるとそれは「世界の主な国」でも同じらしく、受精卵の遺伝子改変は禁止されているようです。*2*3

 

今回この論文を提出した中国ではどうなのか、その明確な記述は現在のところ発見できていません。しかし、今回こういった研究が世に出てきたことで、そういう規制がないまたはゆるいのかもしれません。ここはもう少し調べる必要はあると思いますので保留にしておきます。

 

ただ、研究としてヒトの生殖細胞に対する遺伝子改変が行われたという公式の報告は世界で初めてとなり、禁止されている国さえあるので大きく取り上げられているようです。

 

次はヒト生殖細胞で、という研究の流れ。

今回使われたCRISPR/Cas9というゲノム編集技術は新しいもので2013年頃にこの論文で発表されています。(もちろん、いきなりこの論文で出てきた技術ではなく、元になる研究はたくさんあります。)

RNA-Guided Human Genome Engineering via Cas9

 

詳しくはこちらで解説されています。

CRISPR/Casシステムを用いたゲノム編集 : 一人抄読会

 

ゲノム編集技術とはごく簡単に言うと、DNAの特定の部位を入れ替えられる技術、です。それがこのCRISPR/Cas9が現れたことによって汎用的に、簡単に行えるようになってきたということになります。

 

このCRISPR/Cas9を発表した論文はgoogle scholarで検索したところ現在1225件の引用がなされており、かなり普及した方法だと言えます。そして、今回の問題の論文では人の体細胞、人の多能性幹細胞、マウスの受精卵に対しても研究がなされていく過程が紹介されていて、この流れから行くと次は人の受精卵で研究だ、というふうにも読めてきます。

 

その後、倫理的な問題に関する記述が続き、その対策としていくつかのことをしています。

 

倫理的問題をどのように解決しようとしたか

この論文は受精卵の遺伝子を改変することに対して意識的であり、倫理的な問題を解決するために以下のようなことを行ったことが書かれています。

育たない受精卵を使った

一つ目は、育たない受精卵を使ったことです。論文タイトルにもありますが、 3前核受精卵を用いています。この受精卵は一つの卵子に対して、二つの精子が受精しており、体内に戻しても成長できません。正常な受精卵では倫理的な問題があるので、正常でない3前核受精卵を使ったということが記述されています。

ちなみにこの受精卵はIVFという体外受精治療の過程で作成されたもので、廃棄予定のものを研究利用したとのこと。

 

ヘルシンキ宣言に準拠している

人間を対象とする医学研究の倫理原則を示したヘルシンキ宣言に則って研究されているということが明記されています。倫理委員会への研究計画の提出や、受精卵の提供者へのリスク説明など数十の項目があり、それらを全てクリアしているということになります。

 

国の法律に準拠している

具体的にどのような法律なのかはわかりませんが、中国では問題にならないような手続きが行われたと考えられます。

 

大学病院の倫理委員会に承認されている

研究室が中山大学の附属病院にあるのですが、こちらも大丈夫なようです。

 

受精卵提供者へのインフォームドコンセントをしている

受精卵は病院で体外受精をした際に異常のあったものを患者から提供してもらっています。提供者にはインフォームドコンセントをしっかり行っているとのことです。提供者への情報提供&研究への理解も問題ないということでしょう。

 

著名学術誌では倫理的問題があるとして掲載を拒否された。

NatureとScienceという有名学術誌への投稿が行われましたが、倫理的な問題があるとして、掲載を拒否されました。両誌はインパクトがあり、目を引くような論文を載せる時がありますが、さすがに倫理的な問題で注目されるような論文の掲載には踏み切らなかったようです。もし掲載していたとしたら、この権威ある学術誌の将来も左右する大事件となっていたのではないかと思います。学術誌に載る=学術誌がその成果を認める、という意味がありますから、インパクトファクター(学術誌の偏差値のようなもの)が高い学術誌が掲載するとその研究が一気に加速する恐れがあります。両誌からは、今回、人の受精卵の遺伝子改変に対して懐疑的な記事が出されていることからも、今はそのときでないという見解を暗に示しているのだと思います。逆に著名な学術誌に掲載できないのであれば、研究者としての実績にもならないので、類似した研究を失速させる効果もあると思います。その効果を狙ったものかもしれません。

また、研究結果としてもネガティブなものでしたので、掲載する価値がないという判断がされたのかもしれません。この論文では、とある遺伝子が原因で発生する疾病にたいしてゲノム編集の技術をほどこしました。結果としては、手法が未熟でDNAの想定外の部分に多くの改変が入ってしまって、もっと正確な手法が必要であること、CRISPR/Cas9の手法の精度をかなり上げる必要があることが示されています。研究の成果としてはいまひとつ足りていない部分があると思います。これをポジティブな結果にしたいのであれば、このゲノム編集の技術の精度を高めるような結果を示さなければならないでしょう。

結局はProtein & Cellというマイナーな中国の学術誌で発表されました。

 

ヘルシンキ宣言に則った情報の開示?

ただ、このようなネガティブな結果の論文をなぜ世に出したのでしょう。その理由の一つにヘルシンキ宣言があったのではないでしょうか。

36. すべての研究者、著者、スポンサー、編集者および発行者は、研究結果の刊行と普及に倫理的責務を負っている。研究者は、人間を対象とする研究の結果を一般的に公表する義務を有し報告書の完全性と正確性に説明責任を負う。すべての当事者は、倫理的報告に関する容認されたガイドラインを遵守すべきである。否定的結果および結論に達しない結果も肯定的結果と同様に、刊行または他の方法で公表されなければならない。資金源、組織との関わりおよび利益相反が、刊行物の中には明示されなければならない。この宣言の原則に反する研究報告は、刊行のために受理されるべきではない。*4

 

否定的でも何でもヘルシンキ宣言に準拠するには、その結果を公表されなければならないと記されています。

また、この研究が臨床研究的な文脈で行われたのか、基礎研究的な文脈で行われたのかにもよってくると思います。以下の記事を読み、臨床研究と基礎研究の違いに「なるほど」と思いました。「臨床研究ではネガティブでも結果報告する」というのがお約束のようです。

nosumi.exblog.jp

 

巻き起こしている議論

安易な受精卵の遺伝子改変は危険であるというのが基本姿勢です。その大きな理由の一つに、遺伝子改変された受精卵から生まれた人間の持つ遺伝子は、後世まで延々と影響を与え続けるということがあげられます。

現在遺伝子治療としてほどこされているものは、人としての個体内で完結するものだけですので、悪い影響が出ても一人の患者内だけで収まるものです。対象の細胞の種類も数種類がいいところだと思います。なのでその影響もまだ確かめやすく、推測もしやすいです。しかし、受精卵の遺伝子改変は一つの細胞が分裂していくため、そこから生まれた人間の生殖細胞もその改変の影響を受けており、生殖を続ける限りその改変が受け継がれていく可能性があります。

また、多細胞生物の発生は一つの細胞から多様な細胞に分化していく訳ですから、一つの遺伝子のみを改変しただけだとしても、その遺伝子の使われ方(もっと言えばその改変されたDNAの配列の使われ方)が同じ生物内でも細胞の種類により異なり、影響を確認するだけで膨大な研究が必要になります。倫理的な問題をクリアできても、そういった形で人を生み出すにはあまりにも研究が進んでないと思います。これが二つ目の理由です。

ただ、そこに技術が追いついてきています。CRISPR/Cas9が普及したことにより、今回の論文のようなことが容易に行われるようになってきているというのが顕在化したのではないでしょうか。それが論文という形で現れたわけです。CRISPR/Cas9は人の生殖細胞に対して行うにはまだまだ未熟な技術であるということが今回の論文では示されました。ですが、技術的にその壁を乗り越えられる日がくるだろうという展望が現実的な考え方だと思います。後はそれをどう扱うかという部分を決めなければなりません。

一部研究機関や大学、学会が、ヒトの生殖細胞の遺伝子改変に対する見解を発表しています。

これに関してはこちらのブログでうまくまとまっています。(この論文が何を言っているのかももっと細かく書かれています。)

shimasho.blog.jp

 

実はこの論文を載せたProtein & Cellという学術誌も

Urgency to rein in the gene-editing technology

(ゲノム編集技術を抑制する緊急性)

 というタイトルの記事を掲載後に出しています。論文掲載の意図はこういったインパクトの大きい研究の出現を早く伝えて、対応をできるだけ早く講じる所にあると述べています。残念ながら日本では見解を述べている機関を発見することができていませんが、Nature、Scienceのような有名学術誌や、NIHオックスフォード大学ISSCRSDBのような海外の影響力の大きい機関が立場を表明しており、Protein & Cellの意図通りになっているのではないでしょうか。ポジティブに受け取るか、ネガティブに受け取るかはそれぞれのようですが、議論が進むことは好ましいことです。議論をした上で、どこまでを可能とし、どこからを不可とするのか、または全面的に禁止するのか、可能な範囲で研究を行うことを許可するのであれば、どのような手続きをとるべきなのか、何が必要なのか、どう報告すべきなのか。こういったものが決まるまでは研究を進めるべきではないでしょう。例外的に出てきてしまった今回の論文の影響は、その結果や掲載した学術誌いかんに関わらずとてつもなく大きいと思います。

 

参考

日本語

ヒト受精卵に世界初の遺伝子操作-中国チーム、国際的な物議 - WSJ

ヒト受精卵の遺伝子を「編集」、中国研究に世界の科学者が異議 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

ヒト胚ゲノム編集論文の意味するところ - researchmap

ヒト受精卵改変技術、科学界大揺れ 倫理議論追いつかず:朝日新聞デジタル

 

Nature

Chinese scientists genetically modify human embryos : Nature News & Comment

Scientists sound alarm over DNA editing of human embryos : Nature News & Comment

Don’t edit the human germ line : Nature News & Comment

Science

Journal responds to controversy over embryo gene-editing paper | Science/AAAS | News

Chinese paper on embryo engineering splits scientific community | Science/AAAS | News

Don’t edit embryos, researchers warn | Science/AAAS | News

MIT

Chinese Researchers Use Genome Editing on Human Embryos | MIT Technology Review